症 例


年齢順に、主な原因のある症例を取り上げました。

  • 31才 3年間ピル使用後、不妊暦一年。4ヵ月後懐妊。
  • 31才 流産2回後、不妊暦2年、夫40代。4ヵ月後懐妊。
  • 32才 子宮筋腫他、女性特有の病気の手術。不妊暦2年。3ヵ月後懐妊。
  • 32才 生理不順3年、不妊暦2年 多膿胞性症候群(PCOS)。7ヵ月後懐妊。
  • 33才 2度の流産後、約一年の不妊暦。5ヵ月後懐妊。
  • 33才 夫40代。不妊暦約半年。3ヵ月後懐妊。
  • 34才 不妊治療2年。中断し、3ヵ月後懐妊。
  • 34才 不妊暦3年、左卵巣膿腫手術、流産1回、不妊治療2年。8ヵ月後懐妊。
  • 34才 夫50代、流産2回後、漢方やホルモン治療するも不妊暦3年。4ヵ月後懐妊。
  • 36才 不妊暦約2年。5ヵ月後懐妊するが流産。8ヵ月後懐妊。
  • 36才 膠原病体質、チョコレート膿腫・内膜症、A1H6回IVF1回経験あり。
        不妊暦3年、1年1ヵ月後再度A1Hをトライ、1度で成功。
  • 38才 激しい生理痛で不妊暦1年。8ヵ月後懐妊。
  • 42才 医師から妊娠は無理と宣告を受けたが、1年2ヵ月後懐妊。
  • 46才 他機関で体外受精6回。中断し、1年2ヵ月後懐妊。


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「リフレクソロジーサロン訪問記」





お客様の声


M.Kさん

私は、顕微授精を4回採卵5回移植しましたが、一度流産しました。
不妊治療の最高の顕微授精をやっても無理なんだから、もう治療をやめようかと考え悩んでる時、友達からこちらを教えてもらい、藁をもすがる思いで行きました。
三時間近く話をし、泣きまくって、帰りにはすっきりした気持ちで帰ったのを覚えています。
食事、睡眠、運動の大切さを詳しく教えていただきました。
メールでの指導、叱咤激励をしていただき、食事睡眠運動を頑張り、10キロ痩せて、1年後無事妊娠しました。

妊娠中も出血で、入院し、不安に押し潰されてると、叱咤激励のメール。あなたがそんなんじゃダメよ。気持ちをしっかりもってと。
仕事を度外視して、励まし続けてくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。大人になって、本気になって怒ってくれる人ていないですもんね。本当にありがたかったです。そして、無事出産しました。

私は、転院しても妊娠出来ませんでした。
いくら腕のいい先生がいる病院に行って不妊治療しても、健康な体という土台がないと無駄になってしまうという事がわかりました。
移植しても夜中まで起きてて、お菓子はボリボリ食べて、、、これじゃ妊娠しませんよね。
こちらに行かなければ、そんな生活をして採卵移植を繰返し、それで年数だけが過ぎ、妊娠出産出来なかったろうなぁ。息子に会えなかった。

私はここに出会えた事に感謝してます。もし会えてなかったら、無駄な治療を繰り返し、体もボロボロになり、子供を抱く事は出来なかったなと思います。





A.Kさん

私は30歳前半でしたが、同じくらいの年齢の人が何人か赤ちゃんを授かっており、なぜ私は授からないのだろうと考えていました。30歳後半になり、不妊専門クリニックに通うことにしました。検査の結果、原因は不明のまま、タイミング療法、人工授精、体外受精へとステップアップしていきました。けれど、思うような結果は出ませんでした。ここまでしているのに・・・と、考えているときにここを知り、通うことにしました。
ここでは食事の大切さを特に教えていただきました。40歳近い私に「大丈夫、妊娠できるよ」と言ってくださったのですが私は半信半疑でした。紹介いただいたクリニックへもあたらに行きました。また、男性にも不妊の原因があると言われ、女性の自分にだけ原因があると思っていた私にとっては自分のせいだけではない、と思い少しほっとしました。指導のひとつとして、食事の内容を書いて提出。実際、紙に書き出すとほとんど野菜が撮れていないことに気づき、出来合いの総菜はカウントしないと言われ、自分の食生活の貧しさに気づかされました。叱咤激励されながら、意識をして良い素材を中心とした食生活を送る努力をしました。今までは甘いものやスナック菓子等を何も考えずに食べたり、暑い夏にはアイスや飲み物に氷をたくさん入れて飲んだりしてきました。私が40歳、主人47歳でようやく妊娠できました。妊娠に至るまで年齢という壁がとてもプレッシャーになっていました。けれど、食べるもので体はつくられていうこといことは確かだなと、今回食事を変えて体が整うことにより妊娠できたこと で実感しました。また、どんなに高度医療をうけても元の体がしっかりしていないと、結果がうまく出ないということにも気づきました。





A.Mさん

ご報告が遅くなりましたが、女の子を無事出産しました(*^^*)!
母乳の出もとてもよく、最初からミルクいらずでスタートできており、ベビも落ち着いてよく飲み、よく寝てくれてとても元気です。
助産師さんに血流がいいしっかりした胎盤だったと言われ、ひとえに体質改善のご指導の賜物だと思っています。
自分の子どもを抱ける日が来るなんて、先生に出会うまでは本当に信じられなかったです。
ずっと親身に励ましてくださって、本当にありがとうございました。
2人目もまたお世話になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。





K.Mさん

私は生理周期もかなり乱れ、ホットフラッシュの症状も出ていた事から、検査も兼ねて婦人科を受診、早発閉経と診断されました。
その後、専門病院を紹介されましたが血液検査の結果を見ただけで同様の診断をされ顕微授精でないと妊娠は不可能と言われた時には死刑判決を受けたような気持ちになりました。
(中略)
年数が過ぎ、自然妊娠をあきらめかけた頃先生のもとへ通うことを決めました。
生活習慣を変え、毎日の日課だった甘いものを絶ち、 食生活も大幅に変えました。 朝早く起きてウォーキングも始めました。
今までしてきたことと違うのは、病院などで医師に「してもらう」のではなく、「自分でやる」ということでした。
(中略)
紹介された転院先では、今までの病院とは違い、ひとつひとつ検査をして今の状態をきちんと調べそれにあった方法を選択してくれたのもあり、今までにないような安心感がありました。

先生の所へ通い始めて丸2年が過ぎようとしていた頃、あと1年やって結果がでなかったのなら全てを辞めようと、そう決めた矢先、3度目の人工授精で妊娠がわかりました。
運良く妊娠という今まで目指していた結果が出ましたがそれはゴールではなくスタートで、 日々変化していく体やお腹の中の小さな命を思うと今までやってきたことがますますやめられなくなりました。
それからもずっと、食生活や朝のウォーキングは 続けています。
病院でも勧められる妊婦生活は、早く寝る、食生活、 適度な運動…と全て今までやってきたことばかり。これでようやく、長年やってきたことが無駄ではなかったと、心から思えるようになりました。





Y.Mさん

私が不妊治療を始めたのは、37歳の時です。
検査の結果、 ホルモンのバランスもあまりよくなく黄体機能不全と判断されました。
その後数か月は、投薬や注射の助けをかりながらタイミング法で妊娠を目指しました。
数か月後、夫の精液検査をしたところ、運動率がゼロという衝撃的な結果がでてしまいました。
その時点まで、私達夫婦は、あくまで自然妊娠にこだわり、高度治療はしないと決めていたのですが、 いきなり、顕微授精を薦められてしまい、目の前が真っ暗になったのを覚えています。

夫の年齢は、すでに50歳に近く、私も40歳が目前で焦りは感じましたが、もう少しだけ、奇跡が起こることを信じて、自然妊娠をめざしてみようと決めました。
そんな頃、友人から先生を紹介もらい、一縷の望みをかけて、先生の所に通い始めました。
先生のご指導の下、食事や生活習慣を徹底的に改善し、一日一万歩は歩く努力をし始めました。
今までは、お菓子や甘いものを普通に食べ、夜更かしの生活をしていたのを一切やめて数か月後、私自身のホルモン状態は劇的に改善しました。そこで、人工授 精を試してみましたが、やはり、夫の精子の状態が最悪で、医者には再度顕微授精を勧められました。
(中略)
友人たちから妊娠出産の報告が届き、もはや私の精神状態も限界まで追い詰められました。
それでも、先生のところでは、継続的に通い、励まされながら、私の身体だけは、いつでも妊娠できる状態を維持する努力を続けました。
先生のところではリフレクソロジーをうけるときが唯一の癒しの時間でもありました。
先生の助けを借りながら、気持ちを立て直して、秋に一度だけ、顕微授精を試すことに決めました。
それで駄目なら諦めようと、夫婦できめて 、最初で最後の顕微授精に臨みました。

結果は、なんと一度で妊娠判定が出たのです。後押ししてくれた先生には感謝の気持ちで一杯です。